そして私は怪獣になった

じぶんがすきだなと思ったものを並べて いいなと思ったものを集めて それを「これがわたしです」って むねをはっていっていいのかどうかわからなくて よくよく考えてみたらからっぽな気がした すきだなっておもうのは自分の感性だったのかしら 当事者意識がすごくすごくひくい気がする だれかとふたりきりになるのは気にならないけど ときどき、ほんとうにときどきはっとする瞬間があって、それは自分の劣等感とかが原因だとおもうんだけど、このひとは、「わたしだけ」といっしょに時間をすごしていて、いいのかな、なにかメリットとかあるのかな、とか たのしいだけですぎるときもあるのに ほんとうにときどき ネガティブとかじゃないと思うんだけど さーっとする 結構なかよくあそんでた男の子がいたんだけど 別の美人なともだちにアドレスきいてたの見たときみたいな じぶんがちいさくてみじめなふうにおもえる 黒くて見苦しいきもちみたいな わりと「当事者」になることが少ないし じぶんのすきなものをならべて、そういう、なんだかおしゃれっぽくて いい趣味をもってるっぽいような自分、をめざす自分を、しょうかいする みたいな そういう自分 をつくるために紹介される「すきなもの」は ほんとうのじぶんをもつっていうか その本人とか本物が当事者で、空気を作っていて すごいなあとおもう ううあ、今日はなんだかすごくばらばらなきもちで じぶんでもよくわからない 私といっしょにいるときに携帯をいじられるのがかなしいみたいな でもべつにいいよって思えるような寛容な人にもなりたいし 気にしてる時点でもうだめだけど それなのに受け身にんげんなのも良くない もうすこし自分っていうものをもつべきなのかな でもいまの社会とかって、個性はいらないっぽい 気がする どれでもいいよ、も、なんでもいいよ、も一番こまる回答だってことは わかっているんだけど、正解はひとつじゃないのに、正解をこたえないと 生きづらいきがしてしまう 小さいなあ すごく あー、なんだか、サーってなったりとか、はっとする瞬間の 「気づき」?みたいなあの感覚は あんまりすきじゃないなあ いろんなことに 没頭したり 陶酔したりするのにはじゃますぎる