ロックンロールは響かない

倫理や道徳こそ学んで身につけるものであって、社会性こそ人間本来のものでしょう。ソーシャルスキルを身につけると称してディスカッションや団体行動を強制するのではなくて、規範のある倫理観を学ばせてよ。
合理的な事象に対する倫理観に基づいた否定は争点になりがちだけれど、各々に獲得された解釈を共有することは難しいことだよ。倫理観を統一させるには帝国と徹底した一貫教育が不可欠だよ。善悪の判断の基準は人間本来のものではないよ。
一定の共通の倫理観を学ばせてそれを各々が咀嚼して解釈したことで初めてディスカッションは成立するのでしょう?少し論点のずれる例をあげるけれど、「人を殺してはいけない」という前提の倫理観があるからこそ、尊厳死や中絶に対するディスカッションが成立するのでしょう?
事象に対して倫理観が判断基準になりがちだけれど、前提の倫理観を選ぶところに生来の性格や幼少期の家庭環境が大きく影響するのではないの。「規範のある倫理観」を明確にするところに、人間本来の善悪のどうのこうのがあるかどうか、なんてことは知らない。今わたしたちが生まれた「社会」のなかで生きるための「倫理観」を学ばせてよ。人間の本来もつ価値感覚なんかわかりっこないんだよ。その研究は誰かがするよ。すでに形成された社会の中にある、倫理の基礎を学ばせてよ。
「今の若者」はできないことが多いのかもしれないけれど、できないんじゃなくて知らないんだよ。大人が持っている感覚は共有されたものではないんだよ。指針のない道では迷っていることにすら気づくことができないんだよ。正解が用意できないなら否定しないでよ。規範があるなら明確に示してよ。一定の規範を身につけさせてから自由にさせてよ。規律のない世の中でロックンロールは響かない。人間が人間らしく生きるにはルールの下で自由でいなければならないんだ。