何にも考えてないように見えて!実はものを考えている。ムズカシイ本をよんで、すばらしい映画とかみてる。ように思わせといて、ホントウはなんにもかんがえていないし、ただたんじゅんにウツクシイなあ、スバラシイなあ、スゴイなあとおもう。みせかけ。はりぼて。だからほんとうにものを考えている人にはみぬかれる。わたしを理解してくれやしない。ごめんね、すごくそこのあさいにんげんなの。それでもひびいっしょうけんめいだよ、どうしてうまくいかないことがあるの、これいじょうのなにをのぞむの、ハングリー精神がなかったら成長もとまるよって、言ったのは2年前のわたし。でもわたしにそんな精神あったかな。なにかに必死になったことあったかな、まあいいかって、妥協しないことあったかな。妥協したことも、妥協とは考えなかったな。単純にわたしは自分が傷つくところにはぜったいにぜったいにいかないようにしていた。敏感にそれをかぎ取って、うまいこといきてきた。そうやって生きるくらいの知恵はついていた。でもそれって、「うまいこと」いきてきたことになるの?この「うまいこと」には点々がついたらいいなあ。ルビみたいに、っていうこの点々のルビ?のはなしをしているひとが、はてなダイアリーにいらっしゃった。あの日記みたとき、すごく感銘をうけました。

いっしょうけんめいいろんなコトを考えて、「あ、やばいこんなことかんがえつくのわたしくらいじゃね?」とおもって、ある日「この本はすばらしい」とすすめられて読むと、そんな思考は前提の時点ですでにされていて、そこからさらにさらにがある。それがすばらしいのか、かなしいのか。ああ、この考えってわりとふつうなんだね。共感以外からえられるものってあるの、同調できなかったらなんにもないの。舞台みた。正直いってよくわからなかった。ただ、わたしはものすごーく大倉孝二がすきだなーっておもった。せいがたかいのがいいのかも。