すべてが馬鹿馬鹿しかった。傷つくことも悔しくって、むしゃくしゃして、どうしてって、腹立たしさが取れなくて、食器を洗うのも面倒で、シャワーをあびるのも面倒で、洗濯機をまわすのも面倒で、花に水を与えるのも面倒で、携帯電話をひらくことなんか絶対しなかった。自分が傷ついているんだと実感してしまうのが嫌で、嫌で、いやで。休みをもらった。いつも旅行にいくためにとっといてある、長いお休みをとった。計画を台無しにされることも腹立たしくて、もうどうしたってだめだった。おなかはすくけれど、作る気にもなれなかった。おなかがすくことも許せなかった。どうして体は機能するの、どうして考える力はあるの。死ぬ気なんてないけれど、生きるのが腹立たしかった。携帯電話の充電が、きれたことを伝える電子音がひびいた。ひととおりひびいて、しずかになった。どこかの部屋から、音楽が流れてる。どうして音楽なんてあるの。ピンポンと、玄関ホールからのチャイムがなった。どうでもよかったので無視した。しばらくしてから、部屋のチャイムがなった。玄関ホールを抜けて、この部屋の扉の前にこないとおせないはずのチャイム。それでも無視をした。何度もチャイムがなった。そのうち扉を、ドンドン、とたたいた。「いるんでしょ」彼の声がした。無視した。「ねえ、どうしたの」ドンドン「あけてよ」ピンポン「あけて」ピンポン。ずっと無視をした。しばらく間があいて、彼が言った。「俺は、かえらないよ、あけてくれないとここでさわぐよ。近所迷惑じゃないかな」私のところまできこえるから、結構な大声で叫んでいる。私の部屋に音楽がきこえているのだから、彼の声はご近所にとっくにきこえているだろう。しばらく無視をつづけても、チャイムも、ドンドンも、彼のわたしの名前をよぶ声も、やまなかった。10分くらいして、いらいらしながら、立ち上がった。くらりとした。ふらふらしながら玄関まで歩いて、チェーンをはずして、かちんと、鍵をはずした。いきおいよく扉がひらかれた。彼の姿は、逆光でよくみえなかった。「……」彼は黙った。散らかった部屋にも、よたつく私にも、少し驚いたようだった。「はいるよ」そういって彼は入った。その反動で倒れそうになる私にきづいて、あわてて抱きとめた。また少し驚いた顔をして、腕にちからがこめられた。そのまま抱えて部屋の奥に進んだ。ふとんをめくって私をのせた。「なにしにきたの」と、いおうとしたら、のどがかさかさして声がでなかった。彼はカーテンをあけて窓を開けた。それから部屋を、片付け始めた。ごみをまとめて、衣類もかたした(さすがにたたまずに、そのままクローゼットにおしこんでいた)それから冷蔵庫をあけて、顔をしかめた。私の方をむいて自分の着ていた上着をもう一度きなおした。「鍵かして」なんの鍵かわからない、という顔をする。「この部屋の鍵」テレビを指さす。テレビの上に乗ってある。彼はそれをもって「ちょっと買い物してくる。チェーンかけんなよ」といって、部屋を出た。部屋が片付いたのをみて、胸がすかすかするような気持ちになった。のどがかわいた。「あ、あ」と声をだしてみた。窓があいたままで部屋に冷気が入り込んでいた。すごく寒くて窓をしめようとしたけど、動くのがだるくてのまま布団にくるまった。片付いた部屋の先のベランダで、花が風にゆれているのがみえた。目を閉じると、いつの間にか寝ていたようで、次に目をあけると、彼が部屋に入ってきたところだった。スーパーのビニール袋から、ペットボトルのお茶をだし、食器棚からコップをだして、水でざっとあらってお茶をついだ。私は入ってきたときからじっと彼をみつづけた。彼のことだけじっとみた。彼は視線をわたしとあまりあわせないで、私が布団からおきあがるのをてつだった。そして、お茶をついだコップをわたした。お茶をごくんとのんだ。おいしかった。すごくのどが渇いていた。一杯のみきってしまってから、「たのんでいい?」と声をだした。かすれていた。「なに?」「ベランダの鉢植えに水をあげてほしいの」きっと、のどが渇いていると思うから。私はじっと彼の目をみた。彼は、チラリと私を見て、そしてたちあがって、棚の上にあったじょうろをとった。花に水をやる彼の背中を見て、涙がめじりからたれた。水をあたえおわると彼は台所にいって、ビニール袋からなにかがさごそとりだして、レンジや食器がガチャガチャいった。私は涙がでたままで、もう一度お茶をのんだ。のみこんだお茶がそのまま、涙になってしまうくらい、涙が出た。とちゅうで彼があたたかくしぼったタオルをわたしてくれた。それで顔をふいた。しばらくして、お皿をもって彼がベッドのそばにすわった。机に皿をおいて、「たべて」といった。私は顎をちいさく横にふった。彼はれんげをもって、ひとくち食べた。「熱くないし、みためほどわるくない」そういって私のあごをもって、むりやりれんげを押し付けた。「やめて」っていおうとして口をあけたときにおしこまれた。彼がつくったのはたまご粥だった。水っぽすぎて、べちゃべちゃしていた。でも、たしかに味はそんなに悪くなかった。のみこむのに少し時間がかかった。れんげを自分でもって、お皿の半分くらいなかばむりやり胃におしこんだ。あとで食べる、といって、れんげをおいた。それからお茶をのんだ。窓がいつのまにかしめられて、暖房がついていた。自分のふがいなさにわらいがこみあげて、ふっと、息がもれた。そうして彼をみた。彼はもう視線をそらさないで、じっと私をみた。