ばーじんはーと

私は21になりました。大概の事を割りきることが得意になって、人混みにいら立つくらいに心がすさみました。これがなんとなくあなたへ話しかけるような形式をとったのは、あなたへ伝えたい言葉があったからではありません。私はあなたに言われた言葉を、自分の中でいくらか噛み砕いて、反芻して、繰り返し、繰り返し、考えて、私の思い出の中で、私のことを語るあなたに、問いかけるように話をしていました。そうしたことを、いくども、いくども繰り返して、いつのまにか私の中のあなたをつくりあげて、私の中のあなたが、さらに私をわかったように語り、問いかけてくるようになったので、その私の中のあなたに対してこたえるような、いわゆる手紙のような、こうした形式になったのです。これが私の頭の中で考えるくせ のようなものでしょうか。考えるのに、これがずいぶんつごうがいいのです。おかしいと笑うでしょうか。今日はすこしものをかんがえたい気分なのです。あなたはいつも私のことを、うつくしくってじゅんすいだといっていました。(もう、随分前のことです。)このまま変わらないで、純な純な、私の幼さをいとしい、といっていました(これは、本当のあなたでしょうか、私のなかの、あなたでしょうか、もう、境界が分からなくなりました)が、私はおとなになりました。でもなにもかわったようには思えないのです。私はあなたが私をじゅんすいだというより随分前から、オリオン座の美しいのをみても涙なんか流れなくなっていました。
わたしがあなたと出会って、あなたが私の絵をかくようになって、あなたが私のかわらなさを、いつまでもいとしもうとしていて、わたしに一度もふれなかったけど、あなたは私の真のこころに、ふれて、そうして私としても、そうすることであなたの、真のこころにふれられたのだと、ふれあわないから、こそ、ふれあえたのだと、おもいあいましたね。あなたは涙を、流して、私の絵を、抱きしめていましたね。でもほんとうは、わたしは本当は、いくらかふれてほしかったのです。絵にすら、嫉妬もしました。けれど、触れ合わないのがほんとうなのだと、わたしはじゅんすいだから。ほんとうにそうだったのでしょうか。真のこころにふれていたのでしょうか。きづいていらしたでしょうか。あなたの絵のモデルをはじめたころは、たしかにじゅんすいでしたが、しばらくして、あなたはわたしに触れないままでしたが、わたしは、いろいろの男に抱かれたのを、気づいていらしたでしょうか。いつまでも、あなたはわたしをかわらず美しいといいましたが、本心だったでしょうか。気付いていらした?どちらにしろ、わたしはかなしかった。うそで、いっていたとしても、ほんとうにきづかないで、いっていたのだとしても、きづいていて、それでもじゅんすいだといっていたのだとしても、ふれてほしかった。あのキャンバスをだきしめるみたいに。わたしのことをかいていたはずの、そのキャンバスには、わたしはいなかったのです。
簡単に人を傷つける人がとても多いことがかなしい。かんたんにきずつくじぶんのこころの安さがむなしい。わたしはもっと、あなたにきずつけられたかった。あなたは私を、くるむようにまもってくれたけど、わたしはほんとうは、
ほんとうは