緑の目

先日文学フリマで本を売った友人に、残ってたら一冊欲しいといってもらった。よむのたのしみーというと、「ごめん最後のやつモデルきみです」といわれた。彼女は誰かをモデルにかくことが結構あり、以前私をモデルにかくよーといってくれていたので、あ、書いてくれたんだなーと嬉しかった。読み終えてから、これ私じゃないよ〜!というと、私のなかのきみはそんなかんじよ と ゆってくれた。
茶色がかった緑の目をもったとってもあかるい女の子が、誰にも気づかれないところで、自分の寂しさを吐き出していて、それをみつけた一人が、それを追いかけて、同調して、けれどその2人は関わりをもたない。気付いたひとりが、一方的に見て、シンパシーを感じて、そうしてはき出された寂しさを、そっと塗りつぶしていくはなし。その話は、その女の子が私で、一方的に見ているほうがその友人をモデルにしているようだった。友人が感じる私との関係が、なんとなくそこに描かれているような気がした。お互い共通する寂しさをもつけれど、それを「2人で」共有しあおうとはせず、関わりのない中で消えていく、みたいな感じ。
彼女と私は割りと似ているところがあると思うけれど、多分グループとかは違う方がいい。行動を共にしないほうがいい。私たちはどちらかといえば似すぎている。彼女の方が頭もいいし、きちんとした意思もあるし、難しいことをしっているし、多くのことを考えている。同化はしない。違いがはっきりとわかる。けれど似ている。同じタイプの人といると同調「しすぎてしまう」(ここ、ルビ?というかてんてんをうちたい)私は自分と違うタイプの友人がおおくて、自分と似た感じのタイプの友人がほしいなーオタクばなししたいなーとよく思っていたけれど、自分が無意識に自分と違うタイプの友人を選んできただけなのかもしれない。
でも彼女と一対一で話すのはすごくすきなんだけどね。仲もいいしよく一緒にいるけどね。
私も彼女をモデルに小説をかいてみたいな。読ませるのは恥ずかしいけど。