自分勝手な人や自分の感情を押し付ける人はやっぱりいて、そういう人は自分の嫌悪感や不快感を周りの空気なんかおかまいなしにあらわしたり人にぶっつけたりする。そういう人に嫌な事されたり傷つけられたり当たられたりしたとき、きちんと自分が我慢して黙って上手に受け止めて、そういう愚かな人を肥やしに、自分の許容範囲の深さだとか、人間としての質が向上していくって言う風に、「我慢」は価値のあるものだと教わってきたし、思いこんできた。そのはずだったのに、自分勝手な人、おかまいなしに自分の感情を押し付ける人は、ふつうに働いて、ふつうに恋をして、ふつうに結婚してる。自分勝手な人嫌悪感を人にぶっつけるような人からの乱暴を我慢して受け止めて、価値のある我慢スキルのあがった、人としての質のあがった、他人を思いやれるはずの私は、私の中のやさしいこころは、徐々に黒ずんでいった
どうして我慢したら幸せになれるって思ったんだろう、どうして嫌な人のことも我慢して、一生懸命空気をよんで、まわりに気を使えば、愛されるなんて思ったんだろう。嫌な人は嫌な事をしても、ひとりぼっちにはなってない、そんなの理不尽だ、なんて思うくらい、結局私も自分勝手で自己中で、自分のことしか考えてない。我慢して人を傷つけたりしないのはいいことだったのに、どうして、人を傷つける人、「傷つけ合いを学んできた人」の他者を必要とするその力強さを、強引さを、愛されるすべを、人の許し方じゃなくって、人に許される方法を、どうして教えてくれなかったの