指子

ゆびこはその時をいつも心待ちにする。早く、はやくはやくはやくう、あああ、はやくうと、電車の中でうずうずとするのだ。はやく家に帰って、爪をきらなくっちゃ。爪がのびて指先の肉を超えて、白い月のようなカーブが満ちてくると、指先がだんだんと重たく感じるのだ。こんな指ではほんの少しかゆみを感じた時に、思いのほかがりりとひっかいて傷になってしまう。電車のなかでゆびこは、その、重たくなった指先の感覚を、違和を、感じ取ったときに、ああ、きた、キタキタキタ、やっときたのだと感じて、たまらなくなる。そうしてその時をいつも、どこか心待ちにしていた。まるで、何かを、収穫するときの気持ちのような、育てたものを、刈り取る気持ちのような、重たく実り頭をもたげる稲穂をもみほぐすときのような、なんだか大袈裟な、そんな、そんな妙な指先の、違和を、心待ちにする。そうしてぱちんと、折りとる爪を、ととのえられた指先を、繰り返すことで、何かを、いつも何かを、そうだ、均衡を、バランスを、とっているのだ、無意識に。ゆびこの爪を切る習慣は、無意識の、バランス感覚で、それが、ゆびこの「バランスをとる方法」であることに、ゆびこがいつか意識してしまったら、おかしくなってしまうかもしれない、本当にあやうい、あやういバランスのとりかたであることを、無意識に、無意識の違和を、ゆびこはずっと、小学校のときの月曜日の「生活管理チェックシート」に、チェックをつけたときから、仲間外れにされたときから、続けていた。「生活管理チェック」の、「爪はきれいにきりそろえているか」に、チェックをつけて、ハンカチと、ティッシュをもって。耳の中はきれいで。朝ご飯は食べて。排泄はきちんとされているか。月曜日にきちんと、チェックをつけるように。