どうして

そのひとじしんはなんだかうすっぺらい、イマドキの、軽蔑してしまうようなひとだったりする、そんなひとが、なみだのでるような絵をかく。あした提出の、その前の夜に、カレシとケンカをして、泣きながら描いた、あざやかな、絵を、前にしたわたしのむねのおくからでる、「どうして」。どうして、どうして、どうして
まんがキライっていって、わたしのすすめるステキなまんがとかよまない。「まんがよむと感性とかかわる!」とかそんなのわたしがいったってなんの説得力もないの。感性がすばらしいのは、そのまんがをかいたひとであって、そのまんがにたいしておもうわたしの感性が、すばらしいわけじゃないの。だってわたしのかく絵なんか、そのまんま、そのまんがをかくひとの、すばらしい感性の、うけうりの、模倣で、もほうでさえもなくって、なぞるのも、できそこない。どっかでみたことある。だれでもおもう。それっぽく。わたしってだめだーって落ち込んでみせると、軽薄にわらう。そんなんだからカレシできねんだよ。とかいって。最近よんだけーたいしょうせつで、感動したっていう、かのじょは、つけまつげを100円ショップでかってきて、ちょきんときって自分の目にサイズをあわせて、のこったまつげを、ゲラゲラ、「これなんかよくね」ってじぶんのかいた、すばらしい、おんなのこの絵のまつげに、ぶにゅると、のりをつけて、はっつけて、そしたら、なんだかしっくりしていた。けばけばしい、絵だ、って、おもうのに、やわらかくてやさしい、絵になる。ほんとうは、こんなにすてきな絵なんだから、このひとも、すばらしい、っておもう。でもすごくうすっぺらで、絵も、なんとなくかいてただけで、しっかりかくようになったのも高校からで、勉強もきらいで、すこしすきなせんせいが、「すきなことのばせ」っていうから、すきだった絵をかこうっておもって、かいたっていう、そのひとは、もう。もう、そのひとの、絵の部屋ができた、いっぱいかいて、絵がかざってあって、そのくうかんのすばらしいこと!そこに、そのひとがいなければ。このくうかんに、かのじょだけが、違和感をつくる。みるひとも、絵も、とけこむのに、かのじょだけが、ちょっと場違い、をつくる。
どうしてって、むねがいたんだ。