はしるはなし

大田先輩はこう言った。
「夏の夕方にですね、足元をみつめながらジョッグしているとどんどん自分の意思で走っている感覚からずれて、地面がシュルシュル動いているように感じるんです。ちょうどルームランナーの上を走っているのと同じ感じですね。自分の意思とは離れて体だけが、シュルシュル動く地面を蹴っていくんです。そうして徐々に徐々に、本当にゆっくりと加速度を増していくんです。転ばないように足がさっさと前に出るんです。もうそうなると夢中ですよ。速さは、そうですね、キロ7分くらいですかね。徐々に加速していくので終わりの頃気付くとキロ6分くらいになっているんですけど、加速といってもまあそれくらいです。そのくらいのペースで走っていると、永遠と走っていられるのじゃないかと思うんですよ。1年の頃はアップのときの集団ジョッグですら息が上がりましたから、その時のことを思えば、永遠に走っていられるような感覚を覚えるようになるなんて、俄かには信じられませんがね。それでも、ゆっくりゆっくり、シュルシュル地面を追いかけて、きづくと2時間ほど経っていた、なんてこともありました。その時は喉が渇いたので走るのをやめたんです。ジョッグをしているとき、私は、こんなのはおかしいんですけど、地球の自転にあわせて走っていました。地球がくるくるまわる方向に逆走するよう走りました。そうすると永遠に夕方なんですよ。もちろん、そんなことはありえないんですけどね。景色は変わっているんですけど、何しろ私は足元をみつめて走っているので、自分の、ちょっと値段の張ったランニングシューズのくつひもが揺れて、右、左、右、左と交互に地面を蹴るのを見ているだけだったので、永遠に夕方なんですよ。流石に知らない街まで無意識に、なんてことはありませんでしたけど、街を走るのは、そんな錯覚を楽しめたので好きでした。」
「ぼーっとするんです。例えばレースだったら、ペース配分や、競う相手の出方を窺って、自分のコンディションを見極めたり、頭で色々考えて走る必要がありました。ジョッグのときはただぼーっとするんですよ。もう自分の体の様子をレースに向けて調整する必要はありませんから。ただ単に自分の体調だとか足の様子だとかは、無意識に整えていたりしましたが、それはほぼクセになったものなので、ぼーっと何も考えないでいられるんですよ。私は物を考えるのが好きではなかったから、ただ、右、左、右、左とゆれるくつひもを見ている、むしろそれを見ていることさえも意識していない、あの、文字通り無我夢中の感覚が好ましかったんです。いくら頭で何も考えないでいるなどと考えても、結局何事かを考えているんですよ。座禅を組んでも得られないものが私は走る時にのみ得ることができたんですよ。……これは大仰かもしれません。私はただぼーっと走っているだけですからね。」