紙子

紙子はいつでも手の届くところにあるものだけで生きていけるのだと恰好を付けて笑ってはみるものの、本当はそんなことは無理だと言う事がきちんとわかっていた。お財布と携帯電話とマスカラとコンタクトレンズがあれば、どこにでもいけると思って生きていく、そんな人生が存在するということを知っていたけれど。けれど、そうした選択をすることの覚悟を、覚悟の大きさを、代償に失うものを、得られなくなるものを、その価値を、知っていた。「そんな人生」を手に入れることで失うものの大きさが、「そんな人生」を選ばせない枷になっていることを知っていた。その枷が、安心を、人生を、生き方を、価値を、評価を、これから出会う人からの視線を、今まで出会ってきた人の視線を、家族の思いを、友人の蔑視を、恋人としての価値を、もたらしているものであることを、知っていた。憧れという言葉を選ぶのは適当ではないかもしれないが、自分にできない選択をする人間をうらやんだ。下らない馬鹿な低俗な人間を、低収入で働きづめの、美しくないくらしを、これからを、未来を、夫を、子供を、何もかもを、いつもいつも考えた。そうして恐れて、恐れて、恐れて、紙子は、まっしろな、紙みたいな、ペラペラな、自分を振り返っていつか、愕然とした。希望にあふれた言葉であるはずの、あるべきの、「まっしろなキャンバス」は、紙子には絶望の言葉でしか、なかったのである。