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私が初めてインターネットに自分の谷間の写真を上げるようになった高校2年生の夏、母親が手をかざして私に念を送るようになった。生まれつき体が弱く、食物アレルギーと軽いアトピーと喘息を持つ私は何かとすぐに倒れたり寝込んだりしていたけれど、「私そっくりにあなたを産んでしまった」と母親に悲しまれる程に不幸なつもりではなかった。たしかに私の体質は母と同じであったけれど、その体質で母親自身がどう悲しんでいたのかはわからないけれど母親が自分自身を責める程私は大変な目にもあっていない気持ちでいたし、憎んでなどいなかった。
ある日突然「こうして念をおくると体がよくなるのよ」と、母親が手をかざしてきたときは不気味だった。母は聞いてもいないのに説明をしてくれたのだけど、要するに週に1度通っている病院の待合室で出会った、「親切なおばさん」にすすめられていった「おべんきょう会」で、なにかを学習して来たらしいのだ。母親は2000円のプラスチックのたまを通したやすっぽい数珠を腕にして、「ひかりのぱわー」を私に送って来るのだった。


「それがおかーさんの救いになるんなら、ウン十万とか払ったりしないんなら、いーんじゃないの」
朝子は中学生特有の冷やかさで言った。
「でも、ちょっときみわるくない。手なんかかざしたってよくなるわけないし。」
私立の中学でバレーボール部に所属しレギュラーとして活躍をしているらしい健康的な妹は、アイシング用の袋に氷をいれて膝を冷やしながらストレッチをしている。彼女のストレッチを真似て私もストレッチをする。なかなかのばすことのない筋をのばし、体をもみほぐしながら下から上へ、心臓に向けて老廃物を流していく。氷の袋をひざにのせたまま器用に上半身をのばしながら興味なさそうに朝子は答える。
「思い込みでよくなったりすることはあるよ。信じる者は救われる、ってことなんじゃない」
「でも自分の母親がそんなとこに出入りするの、私はいや」
「まあたしかにそれを本心で信じてるんだとしたらちょっと理解できないねー」
足をまっすぐにのばしてひろげ、らくらくと上半身をペタリと床に付ける妹を見ながら私は心を決める。
「私がついていって、やめさせてこようかな」